吉井朋子司法書士事務所の所長日記


by tomoffice

阪神淡路大震災から14年

今日も事務所へ。
事務処理などなど、ためてます・・・。
経理処理、いろいろなしらべものを要する仕事などは、こういう電話のならない日が一番です。

さて。
今日は、1月17日。
阪神淡路大震災から14年目。

14年前の今日は、わたしはまだ学生で、兵庫県の宝塚市の阪急中山駅近くに祖父と住んでいました。
ちょうど、後期試験がはじまる前日で、明け方近くまで試験勉強していて、ベッドに入ったのが、たぶん朝の4時前くらいでした。
頭の中は、英語とか法律でいっぱいで、眠りにつくのが難しかった記憶があります・・・。

5時46分。ベッドの下から何かつきあげるような力を感じ、その後のことは、記憶がとびます。
どこからか大きな悲鳴が聞こえてきたことだけは、覚えていますが、それ以外は、ほんとに覚えてない。
その悲鳴も、あとから落ち着いて考えると、自分の悲鳴をきいていたのだと思います・・・。
ふと気付くと、本棚が窓に向かって倒れ、窓ガラスは全部われており、テレビが信じられないところにまでとんでころがっていて、床は、ガラスの破片だらけでした。

まだ外は真っ暗で、ただ、運良く、ほんとに運良く、懐中電灯がとんだ拍子に、スイッチがはいったみたいで、そのあかりで、周囲を確認することができました。

すごくガラスの破片だらけで、すべてのものがグチャグチャの部屋でしたが、私が寝ていたベッドの周囲だけは、ほんとに、全然ガラスもとんできておらず、何かに守られているかのようにきれいな状況でした・・・。

外に出ると、信じられない光景が広がっていました。
今でも、その光景は頭にこびりついて、忘れられません。
すべての「もの」は、壊れるんだ。
壊れることはないと信じていたものも、壊れるんだ。
そう強く思ったことを思い出します。

「ありえない。ありえない!!」
心の中で叫びながら、大阪で離れてくらしていた母に電話しようと、公衆電話に向かいます。
既に長い列ができていました。
並ぶ時間も惜しくて、駅員さんに泣きついて、駅の中の公衆電話を使わせてもらいました。

・・・

いろいろあって、その日のうちに、なんとか祖父とともに私の実家に移動し、暖を取ることができたわたし。
これも、とても恵まれた被災者だったといえるのでしょう。

それでも、心に大きな傷ができていたみたいです。
眠れない日々が続きました。電気を消してベッドに入れないのです。
そして、わたしが被災した場所に、一人で近寄ることができなくなりました。
被災のニュースをみることも、なぜかこわくて、できませんでした。

現実をみるのがこわかったのでしょう。
それまでが、平和すぎる日常をおくりすぎていたのでしょう。

あれから、もう14年たちます。

阪神淡路大震災での衝撃から立ち直ろうともがきながら、司法書士試験の勉強に本気になろうと努力していた時期があります。

自分の中で、いろんな葛藤がありました。
なぜ、わたしは生き残ってるの?とか・・・。

そう。
逆にいうと、阪神淡路大震災があったから、時間はかかったけれど、司法書士に合格することに本気になれた自分になれたともいえます。
そのときも、周囲の人に多く支えてもらいました。

人は、いろんな衝撃から立ち直ろうとする努力の期間の中で、成長していくものなのだと、思います。

順調で平和な時期にはみえていない様々なものを感じ、みることができる。
それは、きれいなものばかりではないかもしれないけれど、それを自分の中で乗り越えることができたときに、また、違う世界をみることができる自分になれているのだと思います。

阪神淡路大震災。
まだまだあの当時の傷が癒えずに苦しんでいる人もいます。

いつまでも風化させることができない。
わたしの中でも大きな出来事。

やっと、少しずつ、この出来事に立ち向かうことができる自分と出合い始めました。
もう14年なんだ・・・。時間かかったなーと。

犠牲者の方のご冥福を心よりお祈りいたします。
[PR]
by tomoffice | 2009-01-17 15:44 | つぶやき